トップページ > ニュース > 原水協通信 草の根2009年3月号

被災55年ビキニデー集会を静岡・焼津で開催 核兵器廃絶のうねりを日本から発信しよう。

新国際署名と原爆展の開催を NPT会議にむけて運動の強化を

被爆者13人を含め、愛知から174人が参加

全国に世界に核兵器廃絶のうねりをー。2010年春にニューヨークで開かれるNPT(核不拡散条約)再検討会議に向け、「核兵器のない世界」を実現する全国的行動の出発点にしようと原水爆禁止日本協議会は2月28日、「3・1ビキニデー全国集会」の全体集会と分科会を静岡市で開きました。

全国から1200人が集まるなか、基調報告を行った高草木博日本原水協事務局長は、「核兵器なくせの声が地球的うねりになりつつある」と強調し、米国大統領をはじめ核保有国とその同盟国の政府関係者も「核兵器のない世界」を言明せざるを得なくなっていると述べました。そのうえで、「私たちの運動も正念場」とのべ、日本で1200万筆の国際署名「核兵器のない世界を」を集め、被爆の実相の普及や「非核日本」を実現するとりくみを強化し、今年の平和行進と原水爆禁止世界大会の成功で変化を作り出そうとよびかけました。

「ビキニデーから広島、長崎、ニューヨークへ」と米国、オーストラリア、フィリピンの海外代表がリレートークし、全国の草の根の運動を交流。瀬戸反核センターの田中詔子事務局長(写真下段)も「今は核兵器廃絶の道筋をはっきり示すことができる時代。集めた署名を手にニューヨークへ行きます」と発言。

文化企画では、「ヒロシマ・母たちの祈り」の上映後、山岡弘和さん(名古屋市職労書記)が昨年の世界大会の報告会に参加した中で綴った「HOPE(希望)」という曲を演奏しました。

愛知は2月28日の集会に79人が参加。続く、1日焼津での被災55年3・1ビキニデー集会に163人、2月27日の富士基地行動に9人、国際交流フォーラムに4人が参加しました。今回、30人をこえる青年学生の参加とともに、被爆者13人が参加となり、他県を圧倒。

1日焼津集会では、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(1CNND)日本NGO・市民連絡会からの要請でワシントンに被爆の実相を届けた道上昭雄さん(愛友会副理事長・熱田区在住)も発言されました。

帰りのバス交流の中では、「被爆者も目標を持って署名に取り組む」「原爆症認定訴訟の新パンフを届けながら、署名を広げていきたい」など、被爆者のみなさんからも熱く決意が語られるなど、新国際署名を取り組む新たな決意を固めあう場になりました。

2010年NPT会議・ニューヨーク行動へ、県民の1割突破(70万筆)をめざし

愛知県原水協の定期総会を開催

2月14日(土)、原水爆禁止愛知県協議会の2009年度定期総会が、民主会館で開かれました。

総会に先立って、川田忠明(日本原水協全国理事・平和委員会常任理事)氏の講演がありました。

「不況の中で、長く欠員が続いたアメリカ陸軍の定員が埋まった。軍人に希望するのは、『①家族が医療保険を使えるようになる。②大学の学費がただになる』ためだという。『貧困が、戦争を生む』から始まって、エクアドルやボリビアの新憲法に9条の考えが入りこんできた。かつてアメリカの裏庭といわれた中南米で、国民的論議を通じてアメリカ抜きの平和共同体づくりが進んでいる。東南アジアなどアジアでも、ヨーロッパでもアメリカ抜きの平和運動が進みつつある」と話されました。

午後、理事長の沢田昭二氏から、「2009年・2010年は大きな転換の年、オバマの変化を待つのではなく、自らが草の根の運動に加わり、世界に訴えていく取り組みで変化を起こそう」との開会挨拶の後、愛友会事務局長の遠藤泰生さんから連帯挨拶、事務局長から「来年春のNPT再検討会議に向け、愛知で『核兵器のない世界を』の署名を県民1割達成させましょう」と、今年度の運動方針の提案がありました。

討論では、財政問題で3つの質問・意見があり、総括・方針では、高齢の原爆症認定訴訟の原告甲斐さんから、平和ゼミナールの高校生まで、地域から職場から15名の発言が続きました。最後に、新役員を代表して水野磯子代表委員、また、高橋信県平和委員会理事長からまとめの閉会挨拶がありました。

もう待てない!今すぐに原爆症認定を!総理大臣は決断すべき!です。

2008年4月から「新しい審査の方針」に基づく認定が始まりました。これによりそれまで爆心地から2キロ以内での直接被爆以外は認められなかった認定が、3.5キロと広がり、入市被爆者も認められることになりました。しかし、これは集団訴訟では裁判所が認定と認めながら「新しい審査の基準」ではなお認定されないという矛盾を抱えたままの形式的な制度にすぎません。原爆症認定集団訴訟が始まって6年、被爆者原告306名のうち、既に61名が亡くなっています。これ以上待つことはできません。

■新しい審査の方針確定後の判決

二つの高等裁判所(仙台、大阪)と5つの地方裁判所(長崎、大阪、札幌、千葉、鹿児島)で勝訴判決。この中で、二つの高裁判決と鹿児島地裁判決が上訴断念し、確定。

■今年の5月までに出される判決

河村建男官房長官は、「東京高裁判決が解決のタイムリミット」と発言! 3月、5月の相次ぐ判決を契機に一気に政治解決を迫りましょう!

※ 県内の国会議員への要請、署名にご協力をお願いします。

■被爆者の願い実現「春を呼ぶ」宣伝行動のお知らせ

日時 3月15日(日)午前11時
 場所 名古屋市中区栄バスターミナル前

(県内の被爆者によびかけ、訴えます)
市民の声が政治解決の大きな力です。
市民へのアピール行動に集まりましょう!

■名古屋高裁第8回控訴審に集まりましょう!

4月17日(金)午後1時30分~

名古屋高裁の審理も大詰め、勝利のカギは法廷を一杯にする傍聴者です。

被爆体験聞き撮りプロジェクト 第3回ききとりin港区

2月21日(土)、名古屋市港区生涯学習センターで被爆者聞き撮りプロジェクトの第3回目が行われ、8人の被爆者が参加し5人の体験聞き撮りを行いました。

それぞれの被爆者のお話は、大変貴重で若い世代の人たちにも伝えていきたいとの話しもされました。今回の港区の開催に当たり40名の被爆者に郵送し参加を呼びかけてきたことや体調が思わしくなく参加できない被爆者がたくさんみえることも報告されました。次回は3月21日瀬戸市で開催します。

*参加された北原さとみさん(平和委員会青年学生)から声を寄せていただきました。

今まで世界大会で広島に住む被爆者の方のお話を聞いたことはありましたが、自分の地元に住む被爆者の方のお話を地元で聞くのは初めてでした。学徒動員された先で被爆し、傷つき、原爆による、様々な体の症状に苦しみながらも核兵器のない世界を目指して活動されている方。原爆が落とされる数日前に「危ないから田舎の方へ逃げるよう」親戚から言われ、直接の被爆は免れたものの、肉親を亡くし爆心地近くまでお骨を拾いに行った方。目の前にいらっしゃる一人一人のお話が心の奥深くまで突き刺さってくるようでした。世界の中でも原爆を落とされた国は日本しかありません。一部の人たちの原爆実験のために人生をめちゃくちゃにされた人たち、無惨に命を奪われた人たちのことを絶対に風化させてはいけないと思いました。

原爆の恐ろしさを世界に伝え、核兵器廃絶のリーダーシップをとっていくのが日本の役割だと思います。被爆者の方々から体験を聞き、次の世代に伝えることは、私たちの重要な使命。その点で「ききプロ」は、平和な未来への希望だと思います。核兵器が地球からゼロになる日が一日でも早くきてほしい。そのために、若者がききプロに参加できるよう呼びかけたい。全国でも同様の組織ができ、核は絶対に嫌だという声がもっと大きくなってほしいです。

草ノート

「その時、歴史が動いた。」毎週、様々なテーマで表記にふさわしい内容をNHKが選んで放映する番組だ。 2月19日夜、55年前の出来事として、ビキニ環礁事件が取り上げられた。当時国内ではこの事件がどのように捉えられていたのか。歴史的な背景を含め、正確に当時の様子がわかる番組だった。

現在では、原水爆禁止運動が始まった当時のことをよく知らない人々が多数を占めているもとで、大変重要な番組だった。当時、「署名を集めてどうなるんだ」「黙っているより行動する方が…」ーこんなやりとりが、各地で家庭内で交わされた。こんな母親たち女性たちの様子が克明に登場した。広島と長崎の様子ももちろん取り上げられた。見ていると、ぞくぞくし、改めて怒りがわいてくる。 1954年3月1日水爆実験が行われ、直後から始まった国内の原水爆禁止の運動。広島と長崎を体験した日本国民にとって絶対に容認できない出来事だった。何者にも代え難い、人間の命が、奪われる、3度体験させられた日本国民。被爆後、2週間へて、焼津に帰ってきた、第五福竜丸。20歳の無線長久保山愛吉氏の命を無惨に奪った水爆。

こうした中、「一連の実験は成功である。実験は今後も続ける」との米国の声明に対し、日本政府は支持を表明。被爆した方々の苦しみは、この日米両政府の答弁で、いまでも固定化されている。3・1ビキニデーの目前であること、広島と長崎の被爆者が裁判を闘っているなか、1200万筆を集めようとしているときだけに、極めて重要な番組だ。DVD、ビデオに収めてあるので多くの方にみていただきたい。 (Y・S)