トップページ > ニュース > 原水協通信 草の根2010年12月号

被爆者への支援連帯の活動を抜本的に強めよう

今年の世界大会に参加された、セルジオ・ドュアルテ国連軍縮上級代表は、8月6日閉会総会での発言の中で、「被爆体験を世界中の学校教育に取り入れるよう努力しましょう。事務総長が述べたように、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳することから始めてはどうでしょう。被爆者は核戦争の人道的影響を世界に教えるための最良の教師です」と話されました。また、世界大会国際会議では「被爆65年にあたり我々は、広島・長崎の被爆者、世界の核被害者への支援を強化し、その体験と闘いを『人類的な事業』として継承するようよびかける。被爆者とともに、そして未来を担う若い世代とともに、いまこそ行動に立ち上がろう。」と宣言で呼びかけられました。愛知県原水協は、被爆者支援の位置づけをさらに高めていこうと考えています。


県下4カ所で相談会を開催

愛友会では11月18日、春日井市内で相談会を行いました。相談会に入る前に、昨晩17日夜に亡くなられた道上昭雄さん(県原水爆被災者の会副理事長・享年82歳)に対し、参加者全員で黙祷を捧げました。

最初に県健康対策課の担当者から、各種の手当と介護保険制度などの内容について説明されました。続いて、反核医師の会の徳田秋医師が講演されました。徳田氏は、沢田昭二氏(県原水協理事長)が認定訴訟のなかで研究してきた内部被ばくの内容を説明。キノコ雲の下で何が起きたのかを解説。さらに人体にとって有害な放射線の恐ろしさを説明しながら、被爆当時の状態がどのようであったのかが重要なことだと指摘しました。そして、今後どのようにしたら、楽しく生きられるのかと問い、ガンについて話されました。ガンは昔とは違い、胃ガン、乳ガン、子宮ガン、大腸ガンは命は取られない。加齢とともに免疫力が低下する中で、病気を呼び込むようになる。健診は、どうもないときこそ大切だと強調されました。最後に荒木孝子氏(県原水協理事)が、「元気で充実した毎日を過ごすために」と題して講演。被爆者が書く自分史の紹介と生きていくために不安をなくすこと、家族・周囲の人たちの理解を得ることの大切さなど話されました。休憩後、質疑応答、交流を行いました。

参加した被爆者からは、「私は健康だから必要ないが。健康管理手当を受け取れる11の病気にも該当しない。ほとんどの被爆者がもらっているところがあると聞いてびっくり」「被爆者ハンドブックは新しくなるのか」「県に申請書をだしたが受け付けてもらえなかった。どうしてなのか」等々。終わりにあたって、市在住の被爆者、水野秋恵愛友会事務局次長から、愛友会と相談日の紹介など訴えました。今年度の相談会から講師派遣とサポートを本格化してきましたが、さらに強めていきましょう。



非核・平和の願いを実現する県要請行動のまとめ(11/1)

2001年から始めて10年目となる、「非核・平和の願いを実現する要請行動」は、10年目という節目にあたることもあり、事前に要請内容について打ち合わせ会議を開催し、必要な資料を揃えるなどの準備を行いました。これまで強く要請した文書回答は実現したものの、全体としては、得るものがなく、前進面の乏しい回答と話し合いとなりました。


※( )内は県事務局のコメント。


(1)「核兵器のない世界を」署名については、これまで通り、個別の署名には応えず(硬直姿勢は変わらず)。

(2)①非核平和宣言 この間の主張通り1963年の「平和県宣言」にそって運営していく(今日的なあり方について、情報提供したがコメントはなし)。②「収蔵資料展」の評価と今後 3会場で入場者が7千人を超え、展示は見学者の60~70%がよいと評価、今後の開催への期待の声も多数となっている(県民の要求の高さをこの間の1万人前後の入場者数が示している。だからこそ、常設の資料館が必要)。③「原爆と人間展」パネルの活用 8月上旬の県本庁舎・西庁舎地下通路での展示、県下保健所の展示に加え、今年度から県民生活プラザで展示を始めた(評価すべき点) ⑤小中学校における、自衛隊の職場体験学習 中学校については学校長の判断(主体的な判断に任せつつも、日本国憲法という基本的な観点が存在していない)。県立高校は実施校はない(名古屋市立とともに評価すべき。労組の存在と役割が大きい)。

(3)被爆者の相談活動 国の基準である26回に加え、県独自に78回を上乗せしている。常駐体制や毎月の相談会の開催は、無理。県独自の運営補助金を交付している(愛友会の現状にふさわしいあり方づくりの県担当者との懇談が必要になっている)

(4)自衛隊問題 ①小牧基地の米軍使用と基地強化 「日米地位協定」第5条により、「米軍機は日本国の飛行場を出入りすることができる」と規定しており、利用を拒むことができない(これまで周辺自治体の考えを尊重するとしてきたが、立場を変えている) ②陸上自衛隊第10師団に行軍訓練 自衛隊の行軍訓練などは、部隊が管轄する地域の地形の慣熟と自衛官の体力、気力向上、徒歩行進能力の維持・向上のために行われているもの(まるで自衛隊の通知文書のような回答)と承知している ④自衛官の募集 10月現在、県内の市町村においては、適齢者情報を提供している団体はない

(5)名古屋港を始めとした県内港湾の「非核港宣言」の提案・実現  港湾法の規定により、一般船舶に支障がない限り、通常船舶と同様に扱っている。核兵器の搭載に関しては、米国は、1991年以降艦船や航空機から戦術核を撤去するとしており、外務大臣(当時)は「1991年以降は、核が一時寄港の形でも持ち込まれることはない」と表明(米軍は原潜への搭載は否定していない。「有事」は例外としているなど政府の解釈には重大なごまかしがある)。また、首相・外務大臣ともに「非核3原則はこれまでどおり堅持する」としており、寄港の通知があった場合は、国において核兵器の搭載の有無はすでに確認されているものと理解している(有無は確認する必要がないとの方針であるにも関わらず、政府を擁護している立場のまさに表明)。

ノーベル平和賞受賞者世界サミット「広島の遺産:核兵器のない世界に参加して

沢田昭二(県理事長)

11月12日から14日まで広島で開かれた第11回ノーベル平和賞受賞者世界サミットに参加しました。ノーベル平和賞個人受賞者の参加は、ゴルバチョフが病気欠席したので、代表格は、1989年に南アフリカ大統領になり、1991年アパルトヘイトを全廃したフレデリック・デクラークでした。他にチベット仏教のダライ・ラマ14世、地雷禁止条約を成立させたジョディ・ウイリアムス、イランの人権活動家シーリーン・エバーディー、IAEA前事務局長モハメド・エルバラダイ、北アイルランド紛争の終結で活躍したマイレッド・マグワイアが参加し、合計6人でした。また受賞団体の代表も約30人が参加し、私は1910年に受賞した国際平和ビューロー(IPB、原水協は参加団体)の代表としてアラン・ウエアとともに参加しました。

参加者の平和や核兵器廃絶に対する考え方は、宗教の違いにもかかわらず、私たち日本の原水爆禁止運動とほとんど共通していました。オープニングの高橋昭博元原爆資料館館長の被爆者証言は参加者に大きな感銘を与えました。

(1)広島の遺産、(2) 暴力のない世界:安全保障に核兵器は必要か? (3) 核兵器の脅威:地域紛争・テロ・偶発使用、(4) 核兵器のない世界に向う進歩:進行中の国際交渉成果と都市と市民社会の役割、(5) 核兵器使用の結果、(6) 核兵器の法的・道徳的・経済的意味、の6つのセッションが開かれ、傍聴者や質問を準備した学生など500人が参加しました。どのセッションも充実した内容で、考え方を深める有意義なものでした。

私も発言の了解を得たのに時間がありませんでした。代わりに、原爆投下後の物理的影響、とりわけ最近になって明らかになった残留放射線の影響について論文を用意し、私の被爆体験と今年の世界大会国際会議宣言とともに参加者に配布しました。14日午前、広島の原爆碑前で6人の平和賞受賞者の講演の後、世界サミットの「核兵器廃絶に向けた広島宣言」を発表しました。この宣言では、以下の6項目の着手を呼びかけました。



 ・ 核兵器の使用は非道徳的かつ非合法であることを共に確認
 ・ 核保有国に貯蔵核兵器の大幅な削減
 ・ 米ロのSTARTの早期批准とさらなる削減
 ・ 1995年の中東決議の目標達成
 ・ すでに153カ国が批准している包括的核実験禁止条約の早期発効
 ・ 核兵器廃棄の普遍的条約策定

宣言発表の後、平和サミット特別賞を日本被団協に授与しました。14日午後には受賞者と核不拡散・軍縮議員との懇談会が開かれ、日本の議員の事務局長と総務副大臣が参加されたので、日本の核の傘からの離脱がきわめて重要で、日本の議員連盟が米国に従属した外務省や防衛省の官僚の話を聞いて自民党政権時代にもどるのではなく、サミットの参加者などを招待して勉強会を開き、核の傘からの離脱を考える勢力を増やすよう頑張ってほしいと要請しました。

草ノート

被爆者の道上昭雄(しょうお)さん(享年82歳)が、11月17日夜遅く亡くなった。

年1回、日本被団協中央相談所東海北陸ブロック講習会が開かれる。今年は三重県湯の山で開催。昼間は学習会、夕方からは宴会。東海北陸在住の被爆者が集まり、互いの無事を喜びあう場でもあったと思う。道上さんもそこに参加。お酒を飲み、楽しく交流した。その夜遅く、ひとりで風呂に入りに行き、そのまま帰らぬ人となってしまった。突然やってくる別れは、本当に悲しく、辛い。

道上さんは、16歳の時、長崎で被爆した。父母や幼い弟妹ら5人の家族を一瞬にして失った。自分の手で、家族を荼毘に付した。その辛い体験に、核兵器廃絶の気持ちを重ね、被爆体験を語り続けた。 小中学校をはじめ、高校生平和ゼミナールや平和委員会の青年、学生たち…若い人たちと話すのが好きだった。

お酒が好きで、たばこが好きで、写真を撮るのが好きだった。歳をとるにしたがって、耳が遠くなり、足も悪くなり、頑固なところもあったけど、いろんな所にでかけていった。署名行動にもよく参加。署名板とボールペンを持ち、静かに立って訴えていた。ニューヨーク行動にも参加。10月は自治体への被爆者行脚に行く道上さんに、私も同行した。まだまだ、一緒に行動できると思っていた。

「亡くなった被爆者は、体験を語り継がれなくなった時、二度死ぬと言われている。道上さんを二度死なせないで」と被爆者の水野秋恵さんは訴えた。被爆者と共に、核兵器廃絶にむけて歩みを進めたい。道上さん、長い間、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。(む)