トップページ > ニュース > 原水協通信 草の根2011年9月号

―原水爆禁止2011年世界大会― 

核兵器のない世界へ確かな一歩を!

8月3日から9日、原水爆禁止2011年世界大会が広島・長崎で開催されました。

国際会議250人・広島2000人・長崎大会7800人、海外からは25か国88人が参加しました。国際会議では宣言で署名行動などの発展と合わせて、被爆者への援護・連帯、自然エネルギーへの転換を求めるなどを呼びかけました。長崎大会では全国から持ち寄った署名が54万8244筆になった事が発表され、原爆投下の時刻に黙祷を捧げ、歌手のKUMIKOさんの「祈り」を聴きました。
行動提起した日本原水協の安井事務局長は『秋の国連総会に提出する国際署名を国連本部に展示する』とドゥアルテ国連軍縮担当上級代表が語ったことを紹介し、『署名の大波を起こそう』と呼びかけました。

今年の世界大会には、6か国政府・国際機関の代表11人が参加、昨年5月のNPT再検討会議とニューヨーク行動が切り開いた歴史的な到達点に立って、核兵器全面禁止への次のステップを踏み出す世界的な行動について、海外代表を交えて活発な議論が行われました。

愛知からは8歳から85歳まで、のべ246人が参加し、そのうち35歳以下が昨年以上の48・8%。初参加の人が多く『初めて被爆体験を聞きショックだった』とか、『もっと平和について知らなければと思った』など新鮮な体験や感動が感想文からが伝わりました。 この思いを、核兵器のない世界への確かな一歩に、しっかりとつなげていきましょう。





愛知県原水協では、8月11、12日、海外代表のジョセフ・ガーソンさん(アメリカ)、ロラン・オルダムさん(タヒチ)をお招きし、活動交流を行いました。

国際交流女性のつどい

8月11日(木)夜、名古屋市女性会館ホールにて「2011年国際交流あいち平和女性のつどい」が開催され、80名余が参加しました。同つどいは、新婦人県本部、コープあいち、愛労連、愛友会、原水協などが中心になって準備しているもので、今年で27回目を迎えます。

今年は、海外代表としてガーソンさん、オルダムさんが参加。
オープニングは新婦人・中山淑子
さんのピアノ演奏。新婦人・水野磯子さんの開会挨拶のあと、沢田昭二さんより、今年の世界大会の特徴について報告。また、大会参加の報告を戸谷富久美さんより。
オルダムさんはフランスの核実験被害者。「核について、すべての政府は嘘をついている。自分なら、原発は明日にでも止める。」と発言。また、ガーソンさんは、福島の原発事故にも触れながら「世界大会はエネルギーに満ち溢れていた。新しい日本がどうなるか。核を無くすために、日本人は前へ進むだろう。」と話しました。

参加者からも活動報告。愛友会の堀三郎さんが、被爆者の現状を含めて閉会挨拶。全員で「青い空は」などを歌い、つどいを終えました。

東三河 草の根国際交流のつどい

8月12日、豊橋では恒例の「反核・平和 草の根国際交流のつどい」が開かれました。各報道機関には「世界大会終了後の海外代表は、帰国までの短い時間、全国の草の根と交流をおこなっています。今年は、ジョセフ・ガーソンさん(米フレンズ奉仕委員会)、4回目の豊橋来訪です!」との案内と協力依頼を出しました。

ガーソンさん、4回目ともなると、桜丘高校の「原爆の火」見学と、夜の「交流のつどい」は、はずせないにしても、従来やってきた自治体訪問とは違う、何か新しい企画をと考えました。そこで思いついたのが、「ガーソンさんに豊橋駅前で署名に立ってもらおう」ということでした。しかも、「ガーソンさんに演説をしてもらうが、それは短時間にして、多くの時間は、署名板を持って、直接市民と対話し、署名をもらってもらおう。」ということになりました。ガーソンさんの通訳は沢田理事長が急きょ駆けつけてくださり、駅前は、反核平和運動の世界的活動家の二人が立つということになったのです。
もちろん、約1時間のこの行動で、過去最高の103筆(原発署名98筆)が集まったことは言うまでもありません。「朝日」、「中日」、「東愛知」、「赤旗」各紙が写真入りで報道し、世論形成に協力してくれました。 (田原市原水協 安間慎)

原水爆禁止世界大会 報告会 in 瀬戸

今年はピースフェスティバルin瀬戸の《戦争体験を語り継ぐ会》と日程が重なったため、第一部を《あなたに伝えたいー被爆者のお話》として、ヒロシマの被爆者で、瀬戸市の加藤錦三さん、守山区の堀三郎さん、ナガサキの被爆者で瀬戸市の那須さん、世界大会に参加されたタヒチ核実験被害者組織からロラン・オルダムさんという多彩な方々のお話を伺いました。
第二部は交流会として、被爆者のお話の感想や、質問、草の根の活動の交流をしました。

オルダムさんが日本に来てから発言の機会が有るたびに強調されたことは、「原発は即時廃炉!ドイツは2020年までに廃炉といっているが、それまでに今回のような事故が起きない保障はどこにも無い!段階的廃炉はナンセンス」と。
日本人の反応の鈍さにいらだっているようにも感じました。
赤ちゃんを抱っこしたお母さんは、「この子が臨月の時、福島原発の事故が起きた。パニックになって親や友人に不安を訴えたがだれも本気に取り合ってくれなかった」と、涙ながらに訴えられました。

メモを取りながら熱心に話を聞く中学生や、初めて海外の人の話を聴いたという方など、初参加の方が年々増えています。 コーラスかりんの皆さんの歓迎のうたごえ。オルダムさんのギターを弾きながらの〝ローリングストーン〟に、「ここでボブ・ディランのうたを聴けるとは感激です」と60年代青年だった人。3時間半の交流はあっという間に終わって、オルダムさんは次の会場へ向かわれました。 (瀬戸反核センター 田中詔子)

青年こそ核兵器なくす力! 海外代表と交流

世界大会後、名古屋を訪れたタヒチ代表オルダムさんを囲んで、青年20人が天ぷらと冷や麦を食べながら懇談。

「タヒチではどんな風に平和運動をしていますか?」「平和運動をすると白い目で見られませんか?」「日本では主張をはっきりすることはタブーですが、タヒチではどうですか」など次々に質問が出る中、オルダムさんが『核兵器なくすことは私たちの生き甲斐!こんな危険な物を地球上からなくすことは今すぐに必要なこと!希望と誇りを持って運動しようよ!』と英語で答えると、理解できる若者もいて、大きくうなずきながら納得。通訳をしてくれた高校の英語の先生も、まるで自分の言葉のように熱く語りました。

人参・タマネギ・カボチャなど野菜中心の揚げたての天ぷらもとても美味しく、お腹も心もいっぱいになる交流でした。



「非核平和都市宣言のまち」尾張旭市 ―平和事業がすすむ

今年3月3日に尾張旭市が「非核平和都市宣言」をしてから、市の平和事業がすすめられています。6月には「非核平和都市宣言のまち」と書かれた看板が庁舎の正面玄関上と名鉄瀬戸線線路側に面した庁舎3階の2ケ所に設置されました。7月には平和市長会議の加盟が認定されました。同じ7月、非核平和都市宣言文を載せたクリアファイルが市内中学生に配布され、また、市内各公共施設に宣言文を載せたプレートが順次設置されています。8月24日には、市内の中学生代表が市長、議長とともに広島へ行き、約1万羽の折り鶴を「原爆の子の像」にささげ、平和を祈念しました。

長い間、毎年「非核平和都市宣言をしてください」と要請してきたことが実現し、その後も次々と平和施策が施され、尾張旭市民として誇らしく思います。
今年から年間をとおして継続することになった「平和行進尾張旭実行委員会」を充実させ、学習会や原爆展、署名が推進できるよう、みんなで頑張りたいと思います。   (尾張旭市 藤崎俊子)

[尾張旭市非核平和都市宣言文]

私たちは、平和で安心な暮らしがいつまでも続くことを心から願っています。

健康で住みよいまちを築くには、世界が平和であることが大切です。しかし、今なお世界各地では、武力紛争が絶えず、多くの核兵器が存在しています。

唯一の戦争被爆国に住む私たちは、二度と悲劇を繰り返さないよう「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会に働きかけていかなければなりません。


尾張旭市は、核兵器の廃絶と恒久平和の実現のために努力していくことを決意し、ここに「非核平和都市」を宣言します。

草ノート

6月30日の愛知県原水協理事会で決定されて事務局長になった。この2ヶ月間、夢中で突っ走ってきた。

7月9日まるで夜逃げのように、大高緑地公園横の自然環境抜群の緑区から、この中区に引っ越した。朝9時には自転車で出勤し、帰宅はほとんど9時10時!一日なんと12時間。土日も変わりなく出勤し、この間休みは半休2回のみ。年金者組合緑支部の書記長兼務もあり、厳しい毎日を乗り越えてきた。しかし何とか体調も良く定期受診もクリアー!我ながらこのトシでよくもまあ、こんなにも働けて、新しいことができるもんだと、驚くと同時に充実した毎日にへんに感激している。

このポストに来て一番感じているのは、核兵器をなくす世界の流れの確かさ。2011年世界大会でも、その後のアメリカ・タヒチ代表を案内したときにも強く実感できた。それだけに私たちの責任の重さや、被爆者含め運動主体の高齢化や労働組合はじめ団体の厳しい実態・若者を理解することの難しさなども痛感する毎日。

8月下旬やっと遅い夏休みを取得、久々の旅を楽しんだ。
これまで原水協運動をしてきた人達や、その周りにいる若い人達に日々励まされ支えられていることに心から感謝しながら、この大役を全うしなければという思い溢れる毎日です。(嶺)