トップページ > ニュース > 原水協通信 草の根2012年5月号

なくそう核兵器 歩こうあなたも! その一歩が世界を変える

あいち平和行進 いよいよスタート!

愛知の平和行進は、昨年末から準備を始め、4月12日第3回県実行委員会を開催し、本格的な準備をスタートさせています。2012年あいちの平和行進は、今年もコープあいち、うたごえ協議会などと、県原水協に参加する諸団体が「あいち平和行進共同連絡会」を構成し、県内最大の反核平和の共同行動として、5月31日から6月11日まで12日間の日程で県内を歩きます。1958年から始まった平和行進は55年目を迎え文字通り、思想、信条、党派をこえて、県民の反核平和の願いを結集する「平和行進」として、幅広い参加を呼びかけます。
一昨年5月のNPT再検討会議は、「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」との「目的」を確認し、核兵器のない世界を達成し維持するための「枠組」を確立するための特別の努力をすべての国に求めました。
そして2015年のNPT再検討会議に向けて4月30日からウィーンで開催されている第1回準備会合に要請団が議会傍聴し、署名提出、各国政府への要請・ウィーン大学やメーデー会場となるウィーン市役所前や国際ビューローなど何カ所もで原爆展を開催し、連帯して世界中で原爆展が開催される中での平和行進です。この国際的キャンペーンをすべての市区町村にひろげ、核兵器廃絶の大きな世論を築く行進として成功させ、東日本大震災への被災者支援、原子力エネルギー依存から自然エネルギーへの転換、非核平和の日本を実現するため広くアピールする行進としてとりくみます。
「核兵器全面禁止のアピール」署名を広く県民に呼びかけながら、2012年世界大会にむけて、今まで以上の規模であいち平和行進を成功させましょう。
一歩でも、二歩でもを「合い言葉」に、核兵器のない平和な世界をめざしてともに歩きましょう。

【共同スローガン】
☆核兵器の全面禁止を求めてともに歩こう! 
☆秋の国連総会へ核兵器禁止の声(署名)をとどけよう! ☆非核3原則を守り、非核・平和を大切にする街をつくろう! 
☆放射線被害の根絶、自然エネルギーへの転換を! 
☆9条大好き世界へひろげよう! 
☆ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!ノーモア・ヒバクシャ! ☆被爆者に連帯し、原爆症認定訴訟を勝利させよう! 
☆原水爆禁止2012年世界大会を成功させよう!



あいち平和行進 歩き続けて18年

私は1994年から愛知県内通し行進者を続けており、今年で連続19回目となります。 2009年4月には有名なアメリカ・オバマ大統領のプラハ演説があり、国内では2009年8月に麻生総理(当時)と日本被爆者団体協議会との間で原爆症認定の確認書が取り交わされました。私の通し行進も一区切りをつける潮時になるのではないかと考えました。しかしその後の動きは平坦でなく、2011年3月には福島の原発事故となり、日本人として4どの被爆者を生み出すこととなりました。 「核と人類の共存はできない」は18年前の平和行進のスローガンです。いま政府の原発再稼働の動きが強まる中で、私の19回目の平和行進は、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ビキニ、ノーモア・フクシマが支えてくれそうです。さようなら原発3・11集会に参加した皆さんと一歩でも二歩でも一緒に歩けたら最高です。そんな願いをもって19回目に挑戦します。 (年金者組合 西岡久男)



被爆体験ききとりプロジェクト

本当はみなしゃべりたくない

「もう先も長くないから、語り始めた。」
15日、被爆体験談聞き撮りプロジェクトを津島市で開催。青年らを中心に15人が参加。
語り部を務めてくださったのは、長崎で被爆され、現在津島市在住のIさん。Iさんは、「被爆したこと、被爆者だったことなんて誰もしゃべりたくないんだよ。生きるために畑でサツマイモとかを盗んでね。でもそうするしかなかった。そんな自分の過去、しゃべりたくないよ」とこれまで被爆体験を語ってこなかった経緯を教えて下さった。笑顔で話される表情の裏にも、悲しみと怒りが込められていた。
被爆体験談を語ってこなかったが、地元9条の会で語り始め、このたび青年からの〝依頼〟を快く引き受けて下さった。幼少のころ自宅前で遊んでいるところ、B29が頭上でものを落としたところを目撃。とっさに自宅内に駆け込みお母さんにそれを伝えようとしたところ、すさまじい爆風に襲われた。その後、親戚にあうために原爆投下地点付近を通り、苦しむ人々を目の当たりにされたそうだ。家庭の事情もあり、学業よりも仕事を優先してきた事実、被爆手帳を求めたお母さんは、受け取れなかったこと等、鮮明に伝えてくださった。現在争われている被爆者裁判にも触れられ、被爆者救済に向けて、より一層の支援をも訴えられた。被爆体験談の継承・発信に取り組む青年らには「ぜひ頑張ってほしい」と述べられた。
Iさんのように、県内各地にもまだまだ内に秘めてすごしている被爆者は多くいる。一人ひとりの体験談を伺い、記録に残し、多くの人が原爆の恐ろしさに〝直面〟し、これ以上核・放射能被害者をうまないために…… これからも聞き撮りプロジェクトをすすめていきたい。 (個人理事  高木 秀一)



緑区原水協 6・9行動

緑区原水協の6・9行動はずっと早朝に鳴海駅前で行っていたので、チラシを配るのが精一杯でした。今年度は6・9行動で署名を一筆でも多くと理事会が熱くまとまり、何曜日であれ午後に行うこととしました。一月は16人参加、109筆の成果で、幸先のよいスタート。ところが二月、三月の九日は雨。全く残念!!そこで、6・9の日、万が一雨の時のため予備日を設定することにしました。四月は11日を予備日として9日を待ちました。三ヶ月ぶりの晴天。県からも応援が来てくださり、13人参加88筆の署名を得ることが出来、元気をもらって解散。
さあ次は平和行進の成功を。3月22日第一回の実行委員会を開き、昨年の反省をもとにまず参加者が楽しく歩けるようにとコースを変更。原水協参加団体、コープあいち、合唱団みどりがスクラムを組んで一歩踏み出しました。先回連絡が徹底しなかった諸9条の会(10地域)やその他の団体に電話をかけたり、第一回のレジメを送るなどしたので、次の実行委員会が楽しみです。   (沢田啓子)



草ノート

2年弱ぶりに全戸訪問の署名行動を行いました。 私が初めて全戸訪問署名に取組んだのは、トマホーク配備が話題になった1984年の夏、迫り来る危機感に「何かしなきゃ」と、仲間と大学周辺の一軒一軒を訪ね歩きました。次の年、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名発表。待っていましたと仲間を広げつつ地域へ街頭へと繰り出しました。
「国民過半数を目指す」という途方無いほど画期的な提起に胸を躍らせ、〝国際政治を動かす〟という当時では夢のような目標に向けて、行動は広がりました。「俺達の力で過半数自治体を増やすぞ!」と山間の村や町に、時には泊まりで繰り出したピースチャレンジャー。各国の正午に合わせて署名の波が地球を一周したピース・ウェーブ!少しでも多くの人が参加できるようにと、コンサートや祭りを絡めた様々な行動も…。
「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名の国連提出から間もなく17年。国際政治のテーブルに載せた「核兵器廃絶」という課題は、国連が自ら掲げる主要課題となり、世界大会にも代表が来る。いまの署名は国連事務総長の賛同を得て開始した初めての署名。 一方、あと3年で被爆・敗戦から70年です。今一度、知恵と情熱を丁寧に注ぎ込み、行動を広げましょう!核廃絶の積み木を完成させるのは私達です!平和行進もすぐそこです!   (T・S)