トップページ > ニュース > 原水協通信 草の根2012年11月号

豊橋祭りで「核兵器全面禁止のアピール」署名

“原爆と人間”パネル展示 長崎の鐘の歌声♪

豊橋祭が、10月20日(土)、21日(日)と豊橋公園で行われました。 この祭の一環として、第34回「平和都市をめざそう豊橋市民展」が、神明公園で盛大に行われました。神明公園は、祭の会場である豊橋公園へ行く途中にあるので、人通りが多く、祭当日はとても賑やかな公園です。

今年のテーマは、「なくそう核兵器、きずこう平和」で、サブテーマは、「考えよう脱原発、浜岡原発廃炉」でした。この市民展は、豊橋空襲を語り継ぐ会はじめ、豊橋原水協や被爆者団体の「豊睦会」など23団体が、実行委員会をつくって運営しています。今年は、新たに「浜岡原発いらない東三河の会」「さよなら原発東三河ネットワーク」が加入し、いっそう充実した内容になりました。

豊睦会は、今年春のオーストリアのウィーンで開かれたNPT再検討会議第1回準備会での展示で使われた写真を展示しました。

多くの被爆者の参加で署名を集め、会長さんの「長崎の鐘」の歌声は、人々に大きな感銘を与え、一同しっかりと聞き入りました。     【早川静泰】



やったぁ! 年金者組合 すべての支部でアピール署名

10月26日、年金者一揆の日、愛知年金者組合は「核兵器全面禁止のアピール署名」を、県下61すべての支部で取り組み、3000筆を集約しました。目標の組合員一人5筆は達成できていませんが、最高450筆から最低5筆まで、全支部が取り組んだことは大きな成果です。

9月段階でまだゼロの支部が10支部あり、年金者組合内の平和支部で手分けをして、各支部に手紙を書き、一揆の日、ゼロ支部最後の「師勝支部」が35筆を持参し、感激の達成となりました。パレード終了後、平和部員で記念撮影を行い、引き続き活動することを確認しました。

私たち年金者組合は、折り鶴では、目標の7万羽を20支部の協力で達成しており、1人5筆の署名も継続したきめ細かい働きかけで達成可能です。次の山をめざして焦らず頑張りたいと思います。    【西岡久男】



天白原爆展

『戦争の悲惨さ身にしみました!』

国連軍縮週間を前に10月10日から15日、地下鉄原駅ギャラリーで「原爆と人間」写真展を開催しました。天白原水協では、17名の各界賛同・呼びかけ人で、8月の原水爆禁止世界大会後の原爆展示に続いて、今年二度目の開催。317名の来場者があり、核兵器全面禁止のアピール署名は71筆、アンケートや感想文も54名、募金も寄せられました。会場設営・当番・運営などには、7団体・34名が参加しました。

感想文には「悲惨な現実があったことを深く知らなければいけない」「人類を何年も苦しめる原子力の恐さ、原発にも使うべきではない」(74歳女性)「戦争の悲惨さ身にしみました」(70歳男性)「数多くの開催を!自分もインターネットで宣伝する」(39歳男性)「犠牲者の死を無駄にせず、感謝し、その方の分まで生き、本物の平和を伝えていきたい」(30歳女性)などと書かれていました。

会場前で開催を知り、初めて見たという人も多く、機会を見て、また続けていきたいと思います。      【山本久幸】



被爆者支援ネット 「励ます会」と総会開催

あいち被爆者支援ネットは、10月20日、「被爆者を励ます集い」と「総会」を本山の生協生活文化会館にて行いました。

被爆者を励ます集いでは、参加者が4つのグループにわかれ、昼食のお弁当を食べながら、被爆者のお話を聞きました。小グループに分かれての懇談では、被爆者も自分の体験、気持ちを気軽に話すことができます。長年おつきあいしている被爆者の方でも、こんな体験があったのだと新しい発見もあります。このような取り組みを全県に広げ、高齢化した被爆者を支えていきたいと思いました。つどいの最後には、参加された被爆者全員にプレゼントを贈呈しました。

午後からは、総会議事と記念講演。事務局からは、新たな原爆症認定を求める訴訟(ノーモアヒバクシャ愛知訴訟)を支援する活動を中心とした前回総会(11年5月14日)以降の活動と、今後の活動の方針が提案されました。討論では、被爆2世の活動の強化や行政や議員などに被爆の実相を伝えることの大切さ、金山コンコースでの原爆パネル展開催を拒否されたことへの憤りの声などが出されました。また、樽井弁護団事務局長から、新たな訴訟の意義と現局面についての報告も受けました。

南山大学の奥田博子准教授の記念講演は、「被爆の年代記(クロニクル)を辿る〜確率的な存在から顔を持つ存在へ〜」がテーマ。核と人間は共生することはできない。しかし、核時代を生きる人間は自ら産み出した核と共生しつづけていかざるをえない。この矛盾に向き合っていくうえで、広島/長崎の体験を私たち一人ひとりが当事者性をもって意識していくことが大切であることが強調されました。       【長尾忠昭】



地域原水協から

自立めざす中区原水協

中区原水協は地域労組センター・市職労・民商・新婦人・共産党と加盟団体も少なく細々と運営していますが、それぞれ各団体でアピール署名活動に取り組んでいます。

名中地域センターは、毎月1回栄メルサ前で消費税増税反対などいろいろな署名と合わせて核兵器の全面禁止のアピール署名にも取り組み、中民商では会員さんからしっかり署名を集め、新婦人中支部も毎月第一土曜日金山のダイエー前で「原発ゼロに」の署名と共に取り組んでいます。

原水爆禁止世界大会に呼応して毎年行われる三の丸納涼まつりでは、名古屋市職労を中心にミニ原発展を開き、どて煮の店に挑戦。5,336円の収益をあげ借金返済に貢献しました。県の役員である松井孝さんに今まで中区の原水協を引っ張ってきていただきましたが、昨年病気で倒れられ、今まで任せきりだったことを反省し、少しずつ自立できるよう努力中です。 【中原水協斉藤事務局長】



草ノート

10月に、日本被団協が「被爆二世交流会」を初めて開催しました。全国から27名が参加。私も、その内の一人として参加しました。

私の父は、軍隊で長崎にいました。8月9日は佐世保にいたので、直爆は受けませんでしたが、翌日には軍の命令で長崎市内に向かい「入市」被爆しました。

私が、その事実を知ったのは、1995年です。被爆して50年がたった年でした。それまで父は、親・兄弟や子どもにも、一切、その事実を話しませんでした。50年たって、ようやく、話しても「もう大丈夫かな」と思ったようです。だから、私は、1995年に「自覚的」被爆二世になりました。それまでは、被爆二世ではなかったのです。

昨年、心筋梗塞でダウンして手術をしました。愛友会の役員の方達から「やっぱり被爆二世だね」と言われて、被爆者の痛みが少し自覚できた気がしました。被爆者のみなさんが、自分の子や孫に原爆の影響が出ることを心配して心を痛める。自分を通して、少し、分かった気がしたのです。

67年たって今なお、放射能の影響によって苦しめられる。次の世代への影響まで心配される。社会的な差別にも苦しめられる状況におかれる。核兵器が人道に反する兵器たる所以だと思います。   (Yoshi)