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2014年4月15日

原水協通信 草の根2014年4月号

被災60年3・1ビキニデー 愛知から156人参加!

~2015年NPTに向けて運動の飛躍を~

2月27日から3月1日、被災60年となるビキニデーが静岡県で行われ、1日のビキニデー集会には海外代表3人を含む2400人が参加しました。

愛知からは被爆者4人を含む156人が参加し、昨年を大きく上回る取り組みとなりました。28日に行われた日本原水協集会では、ビキニ被災60周年の今年、ロンゲラップ島民支援代表団をマーシャルに送り出したことを紹介。
2015年NPTにむけて、①国際政治への働きかけを強めるために署名の飛躍をつくりだすこと、②アメリカの「核の傘」の依存から、核兵器全面禁止の先頭に立つ日本政府に変えること、③2015年NPT会議に向けて平和行進、世界大会の成功をとの行動提起がありました。
草の根の取り組み交流では愛知県代表として、小田前県原水協事務局長が、瀬戸での戸別訪問など署名の取り組みの報告とNPT会議に向けて署名と運動の飛躍の決意を語りました。

3月1日のビキニデー集会は、被災60周年の節目の年として、第5福竜丸元乗組員2人が今回初めて証言を行いました。
学生が体験談を記録するためのインタビューがきっかけです。被爆体験聞き撮りプロジェクトなど被爆の実相を聞き、伝える取り組みの重要性が浮き彫りになりました。

愛知のビキニデーに向けた取り組みでは、平和若者ネットワークが富士基地演習場、在日米軍基地を見学するなど独自ツアーでバスを運航する、みなと医療生協から21人中17人が初めて参加するなど新しい努力や変化があったことも特徴です。
2015年は、NPT会議とともに被爆70年の年となるだけに、今年署名でも運動でも大きな飛躍をつくりだす年となります。
地域、職場、学園でビキニ報告会を成功させ、核兵器全面禁止に向けた2014年のスタートを切りましょう。

愛知からNPTへ!②

2015年NPT再検討会議の成功で人類の未来を切り開こう〈上〉

愛知県原水協理事長 沢田昭二

2015年NPT再検討会議に向けた取り組みが全国で始まっています。愛知でも、核兵器全面禁止の世論を広げ、30万筆を目標に署名を集めて100人でNPTに参加しようと、「NPTに行こう・愛知」を立ち上げました。2015年4月まで約一年間の取り組みを毎月連載でお届けします。 第2回目は、第3回と連続で愛知県原水協理事長の沢田昭二さんに寄稿していただき、2015年NPTの成功がどのような意義があるのか、世界史的な視点から、学習要素たっぷりにお送りします。

不拡散条約(NPT)2015年再検討会議の成功は、広島・長崎の原爆投下以来の核兵器で脅迫する時代から、人類が抜け出す重要な転機になる。

原爆投下で始まった核脅迫の時代人類は19世紀後半から国際条約によって、非人道的な兵器を禁止し、戦争を禁止し、第2次世界大戦が終わる直前の1945年6月には、武力行使を原則禁止して、国際紛争を平和的手段で解決する国連憲章を制定した。
しかし、核兵器を手にした米国は、ソ連を核兵器で脅して米国の言いなりにさせようと、広島と長崎に原爆を投下した。
原爆による脅迫を理解したソ連は、対抗して原爆をつくり、米ソの核軍拡競争が始まった。今日まで続く「核兵器で脅す時代」の始まりであった。

ビキニ事件で始まった日本の原水爆禁止運動
米ソの核軍拡競争の中で1954年3月1日、米国のビキニ環礁における広島原爆の1000倍の破壊力の水爆実験で日本中で原水爆禁止運動が起こり、1955年原水爆禁止世界大会が開かれた。
以来、被爆者も含めた60年間の原水爆禁止運動が今日の核兵器のない世界をめざす世界世論の形成に大きく貢献した。

NPT再検討会議を核兵器廃絶の道具に
核独占を狙って核不拡散条約(NPT)が結ばれ、非核兵器国に濃縮ウランを提供して原発をつくらせてNPTに加盟させ、1970年にNPTが発効した。
NPT再検討会議を5年ごとに開き、提供した濃縮ウランの核兵器転用をチェックしてきた。

1995年のNPT再検討会議でNPTの無期限延長が議論されたとき、ちょうど1985年から始まった「ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」がヨーロッパ、メキシコやニュージーランドなどに広がり、核兵器のない世界をめざす政府が生れていた。
世界世論をバックに、NPT再検討会議の議題に核軍縮を加えてNPTの無期限延長を認めた。核独占の手段が核兵器廃絶の道具になり、5年後の2000年NPT再検討会議では、新アジェンダ諸国と非同盟諸国を中心に核兵器国を追い込んで「核兵器廃棄の明確な約束」を勝ち取った。

米国の世論を変えたピースパレード
2005年NPT再検討会議では米国のブッシュ政権が「核兵器廃棄の明確な約束」を反古にして何も決まらなかった。
しかし、被爆者も含めた1000人を超える日本の代表や全米から集まった人たちが国連からニューヨーク五番街いっぱいに広がってピースパレードをし、セントラルパークで集会を開いた。
これを全米のテレビとトップページ写真入りの新聞が報道し、ブッシュ政権の世界世論からの孤立を全米国民が知り、以来、米国の核兵器のない世界を求める世論は過半数を超えて年々増加し、2007年の大統領選挙では核兵器のない世界をめざすと訴えたオバマ大統領が生まれた。

(つづく……)

3・11さよなら原発in愛知 明日につなげる大集会

3月2日(日)栄にて「3・11さよなら原発in愛知 明日につなげる大集会」が行われました。参加者は1500人。集会を行った後パレードを行いました。県原水協も会場内で愛友会と共に原爆展のパネル展示と署名行動を行いました。また、平和グッズ、コーヒー販売の店も開きました。展示の前には多くの人が立ち止まり、中には買い物帰りの家族連れが話しをしながら展示を見ている光景もありました。署名は、アピール署名が90筆、被爆者署名が102筆集まりました。

6・9行動を知らせるニュースが   —岡崎・額田原水協

大村副理事長(現:代表委員)を招いた学習会から、4年近くがたちましょうか。1、2回の休みはありましたが、毎月6・9行動を続けています。
今月の連絡と先月のようすをニュースでお知らせするのですが、それだけで終わらせるのはもったいないと、地域の関連行事や原水協通信や平和新聞の気になる記事を、切ったりはったりして楽しんでいます。

また、昨年末に幸田町が原爆パネルを購入しました。三河で初の購入です。
そして今年の1月中旬から約2週間展示されました。要請に2回訪ね、町長と直に話す中で購入が決定されたことは大変重要だと思っています。(杉田隆志)

草ノート

2月15日の総会で役員体制が変わって、早1ヶ月半。その間ビキニデーの取り組みやインフルエンザがあり(インフルには罹ったのですが)、あっという間に4月が始まります。
まだまだ、反核運動の中で自身のやりたいことを見つけて取り組んでいくというよりは、会議と実務に追われているという感は否めません。
しかし、事務局長となって地域や団体が運動を多種多様、多彩に展開していることを改めて実感し、県内の平和運動を手のひらにのせ、どのように推進していくかを一緒に考え、実行できるようになりたいなあと、事務局の役割がやっと少しわかったような気がします。

また、「経験値が少ない中でレベルアップするためには、二倍学ばなければ!」とある夜、事務所から自宅に自転車で帰る途中で唐突に決意しました。時間をやりくりして、学習に精をだそうと思っています。
これから平和行進、世界大会と熱い平和の夏が来ます。地域の会議にも出かけていき、一緒に学び、悩み、行動して2014年を、「この年があったから2015年NPTで大きな成果をつくりだせた」と振り返ることができるような年にしていきたいです。 (K・O)

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2014/04/15 原水協通信 - 草の根   愛知県原水協事務局