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被災66周年3.1ビキニデー
久保山愛吉墓前祭に参加して
愛知県原水協理事 早川静泰
コロナウイルス騒ぎで、日本中が大変状況ですが、暖冬の今年は、春が来るのが早いようです。サーズに比べれば死亡率は、少ないとか思い。やっぱり、墓前祭には、参加しないといけないという想いで、出かけました。
名古屋を7時29分のこだま号に乗車しましたが、車輌には4~5人程で2メーター以上の距離を十分とることができました。焼津駅には、9時10分頃到着し、誰もいなかった弘徳院まで、歩けばいいと思っていましたが、すでに3~40人の人がおり、墓参行進する体制になっていました。日本山妙法寺の方達が、デモ申請をし、宣伝カーもきていました。 花がないので、私は、駅のコンビニで、菊の花を買い、これをもってあるきました。毎年のように9時30分出発で、墓参行進は始まりました。宗教者平和協議会(宗平協)の方々が先頭で、最後を妙法寺の太鼓の方々が歩かれました。50人くらいでしょうか。警察の方も見えました。いつものコースを歩く墓参行進でした。
墓前祭も参加者が少ないので、私は、始めから最後まで参加できました。満員の例年とは違って、じっくりとお話を聞くことができました。弘徳院・地元焼津仏教界の読経の後、各団体からの挨拶や、各宗教者の祈りまでゆっくりと聞くことができした。89才の司祭などキリスト教の賛美歌、日蓮宗の読経、東西本願寺の正信偈が読まれました。
静岡県ビキニデー実行委員会の代表からは、本来集会で決議すべきアピール(案)が読み上げられ、少ない参加者でしたが、決議が採択されました。
山の中腹にある「・・・私を最後にして下さい」の碑へも、余裕をもってお祈りすることができました。
帰りの新幹線こだま号もがらがらで、十分な距離をとることが出来ました。
愛知県原水協事務局
新型コロナウイルス感染はパンデミックの様相を呈し、我々も健康と生命を第一に考え「ニューヨーク世界大会」とニューヨーク市内での集会と行進を中止しました。開催に向かう運動の中で、新たな共同と結集、草の根での運動の活性化を生み出したことを確信にします。世界大会ニューヨークに向けて、昨年9月から約半年間、千人の日本原水協代表団(愛知からは55人)の組織と「ヒバクシャ国際署名」の提出に向けたなとりくみをすすめてこられた団体、地域のみなさんに感謝を述べたいと思います。
原水協は、新型コロナの感染防止は世界が協力すべき問題であり、人類の生存と平和のために活動する私たちがとりくむことは当然であることと同時に、核兵器の廃絶は、変わることのない重要かつ緊急の課題であると考えています。さらに、医療基盤の崩壊や発展途上国の危機的状況がひろがっているもとで、大国が核兵器による脅威を人類に与え続け、莫大な費用を核開発に注ぎ込んでいる態度を問わなければなりません。
8月の世界大会の意義はきわめて重要になっています。世界大会をこれまで通りのやり方で開催することを前提にし、それができない場合にも備えるという姿勢で準備にあたり、大会のオンライン化についても、検討を進めています。世界大会がたんに年に一度のイベントでなく、核兵器の現状、核兵器廃絶の全国的国際的な課題を明らかにし、内外で共同の方向を指し示してきました。NPT再検討会議の開催は、国連から「延期することを提案した」との連絡を受けています。この間の国連での討論では、NPTをめぐり、核大国が「核軍縮」どころか、核軍拡を進めていることへの強い警戒感が出ています。
大会の成功をめざす運動についても、これまでのやり方にとどまらない新しい運動が必要です。世界大会パンフも、国民的に普及できる内容で、国民の関心にこたえ、関心事と結びつけ、すべての団体で、全構成員が読め、社会に普及できるものにしていきます。
平和行進も世界に類例のない運動です。6・9行動では、従来のやり方に加え、「スタンディング」がおこなわれています。5月31日には通常通り平和行進が愛知県に入ってくる事を想定して、準備をすすめます。ただ、コロナ対策として沿道に訴えるサイレント行動などのパフォーマンスを考えながら準備を進めます。
「世界大会ニューヨークのよびかけ」が目標に掲げた「核戦争を阻止し、核兵器の全面禁止・廃絶を達成し、世界の被爆者の援護と連帯」のための行動を、現在の条件に即した総意的なとりくみで継続し、さらに大きく発展させましょう。原水爆禁止世界大会をめざして、5月から始まる国民平和大行進、秋の国連総会をゴールとする「ヒバクシャ国際署名」などの共同のとりくみの成功のために、みなさんの参加と協力を心からよびかけます。
2月25日、最高裁判所で愛知、広島、長崎で原爆症認定訴訟をおこしている3名の原告に対して判決が言い渡されました。
愛知県の原告である高井ツタヱさんは、名古屋市北区にある愛友会の事務所で、支援者も北区生涯学習センターに集まり判決の報告を待っていました。
判決は全員敗訴という不当な判決となりました。
名古屋で知らせを待っていた高井さんに判決内容を伝えた浜島弁護士は、判決を知った高井さんが「どんな判決でも不安な毎日を過ごすことには変わりはない」と語ったことを伝えられました。
報告集会の中で高井さんは、「みなさんに集まってもらって感謝している。75年という時が長すぎて自分のどこが悪いのかも分からない時もあるが、被爆した時のことは忘れることができない」と語られ「原爆のことがすべて解明されていない。いつどこでどんな病気になるか不安がある。子どもや孫にまで受け継がれていくんじゃないかと毎日思っている」と被爆者としての不安も語られました。最後には「この世界から被爆、原爆をなくしてほしいというのが私の願いです」と痛切に訴えられました。
今回の最高裁判決に対し、ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国原告団、ノーモア・ヒバクシャ訴訟弁護団連絡会、日本被団協は連名で声明を発表しました。声明の中では要医療性を認めなかったことに対し「原爆の放射線は被爆から75年が経とうとする今もなお被爆者の身体をむしばみ続けている。被爆者の疾病は、原爆の放射線に被爆したために発症し、重篤化しているが故に、国の責任において、被爆者に対する手厚い援護を行うという被爆者援護法の趣旨からも、経過観察は重要な医療行為であり、放射線起因性が認められる疾患を患った被爆者の状態が経過観察にとどまる場合にも要医療性が認められるべきである」とし、国が経過観察にとどまる場合には要医療性は認められないといった運用を本格的に開始したのは2009年ころからであることに触れ、これまでの集団訴訟の中で放射線起因性についてことごとく国の運用が被爆者援護法に反していることが断罪される中で「放射線起因性を認めながら、原爆症認定のもう一つの要件である要医療性を厳格に解することで、原爆症と認定する被爆者を抑制しようとしたのである」と国側の姿勢を厳しく非難しています。
最後には「日本国政府が核兵器の廃絶に背を向け、被爆者の援護にも消極的であり、日本の最高裁判所もこのような政府の姿勢を追認したが、世界では、核兵器の非人道性と正面から向き合い、核兵器の開発、製造、使用等を包括的に違法とする核兵器禁止条約が採択され、発効に向けて批准国を増やし続けている。我々は、今後とも原爆被害の実相を明らかにし、核兵器の廃絶と原爆被害に対する国家補償を訴え続ける決意を改めて表明する。そして、国民の皆様に対し、改めて被爆者の訴えに理解と共感を示していただくことを訴えるとともに、与野党に対し、日本被団協の提言に基づいて、原爆症認定制度の抜本的見直しを政治の責任において行うことを求める」と訴えました。
裁判はこれで一つの区切りがつきましたが、原爆症認定や被爆者援護法の問題は多く、今後も様々な形で被爆者支援を行っていく必要があります。
沢田理事長の開会あいさつの後、連帯のあいさつを愛友会副理事長の伊藤定寛さんからいただき、伊藤さんは「国が戦争による被害者を助けるのは当然だが、その前に人を殺さない事、すなわち戦争をしない事だ」と、平和への思いを語られました。NYで行われる世界大会へ参加する大学生は、「核兵器禁止条約に参加する政府をつくる一人になれるようにしっかりと学んできたい」と力強く決意を述べてくれました。
議案の提案では、横江事務局長から2019年の活動報告と2020年の活動方針について、2020年は原水爆禁止運動にとって大きな節目の年。愛知県内で運動を広げていくために、全ての地域に原水協を確立しましょうと提案がありました。
討論では団体・地域での活動報告や今後の活動に対する発言があり、尾張旭市では毎月の6・9行動の他にピースウェーブの行動として、駅前で終日テントを張りながらパネル展や署名を集めてきたこと、議会で「日本政府に条約への参加を求める意見書」を決議するために地元の被爆者や有力者に呼びかけ人となってもらい「会」を結成し、6月議会に向けて運動を進めていること、また4月19日にICANの川崎哲さんを招き講演会を開くことを報告されました。清須市でも議会での意見書決議に向けて運動を進めていくほか、署名の取り組みでも、チンドン屋をやったり、駅から清州城までアピールしながら歩いたりと「市民に見える活動」をこれからもしていきたいと発言されました。討論では、4団体6地域1個人から発言がありました。
最後に大村代表理事が「原水協は3つの基本目標、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯をきちんと掲げてきたからこそ今日までの運動ができてきた。3つの基本目標を胸に刻み、さらに共闘を進め運動を大きく発展させていきたい」とあいさつされ、総会は終了しました。
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開廷前には原告、弁護団を先頭に入廷行動が行われ、その後、傍聴券を求めて抽選が行われました。弁論では、まず国側が弁論を行いましたが、従来通り経過観察は「現に医療を要する状態」とは言えないとの主張を行いました。これに対し、原告側はまず愛知と広島の原告2名が弁論を行いました。
愛知の原告の高井さんは「私は被爆者です。しかし私はそのことを隠して生きてきました。」と語り始めました。結婚を考えていた人に「被爆者だからと身内に反対された」と告げられ、被爆者である過去を捨てようと名古屋に移り住んだこと、お見合いで結婚した夫にも明かさず、知らないまま亡くなり毎日仏壇に手を合わせ謝っていること、東日本大震災そして福島原発事故がきっかけになり被爆者として生きていこうと決意したこと、そして自身の被爆体験、その後原因不明の体調不良に苦しめられてきたことを一言一言しっかりと訴えられました。広島の原告、内藤さんは生後11ヵ月で被爆し、1男8女の末っ子でしたが、母と姉たち8人が直爆、うち2人は被爆死し1人は今も行方不明、父と兄は入市被爆で「家族みんな、被爆者です。」と語られ、子どもの頃から体が弱く、成人してからもいろいろな病気にかかり、今も苦しんでいることを語られました。5人の裁判官は、手元の資料よりも話している被爆者をじっと見つめ食い入るように聞いているのがとても印象的でした。
次に弁護団の弁論では、「原爆による被害の実態をふまえ、被爆者援護法の趣旨を十分に理解した上でなされるべきであることを主張したい。」とし、要医療性の問題も「医療の現場において、経過観察が重要な医療行為であることは論を俟たないところであり、経過観察が医療ではないとでもいうような国の主張は、医療に対する侮蔑とさえいえます。」「原爆放射線による被曝の健康影響については未解明な部分が残されているのですから、被爆者医療において、特に、経過観察が重要な意義を有することを指摘しておきます。」と主張しました。
最後に判決の言い渡しが2月25日火曜日午後3時からと伝えられ閉廷しました。
閉廷後、衆議院会館に場所を移し、報告集会と記者会見が行われました。はじめに用意されていた会議室では参加者が入りきれず、急きょ広い会議室に移動することとなりました。
高井さんは「私が被爆者ということで、子どもにも孫にも心配をかけている。」と話され、内藤さんは「母は私たち姉妹が結婚できるかと、とても心配していた。」と被爆者であることが自身だけでなく子どもや孫まで影響が出るのではないかと苦しんでいることも話され、2人とも「今後、絶対に原爆を使ってはいけない。」と強く訴えられました。
2020年1月1日、毎年恒例の元旦宣伝を熱田神宮前で行いました。例年よりも参加者が多く30名の参加で134筆の署名が集まりました。
1月 日現在、愛知県のヒバクシャ国際署名数は 筆です。4月のニューヨークでの世界大会、NPT再検討会議、6月の平和行進、8月の広島・長崎原水爆禁止世界大会、そして秋の国連総会と節目ごとに目標を持ち、署名の推進に力を注ぎましょう。