被爆者援護

被爆者聞き撮りプロジェクト2008年7月5日

被爆者体験聞き取りプロジェクト(ききプロ)は、7月5日(土)に一回目のききプロを、樹齢300年のしだれ桜が圧巻な園明寺で行いました。

犬山市にお住まいで、広島で被爆された安藤さんと石村さんからの被爆体験を、青年、支援者など19人で聞きました。

“戦争は絶対だめ。話し合いで解決を”被爆者が語った思い

被爆者体験聞き取りプロジェクト(ききプロ)は、7月5日(土)に一回目のききプロを、樹齢300年のしだれ桜が圧巻な園明寺で行いました。

犬山市にお住まいで、広島で被爆された安藤さんと石村さんからの被爆体験を、青年、支援者など19人で聞きました。

安藤さん

安藤さんは、当時25歳。爆心地から1.5㎞離れた自宅で被爆。爆風で梁の下敷きになり、顔と後頭部半分身体に怪我を負い、呉の軍病院へ運ばれた。その病院で見た光景が生き地獄として頭に焼き付いている。一番残っているのは、教師の奥さんが大変美人だったのに、原爆で誰だか判らない顔になって亡くなり、「きれいだった顔が思い出せない」と泣いていたこと。

ピアノが好きで弾いていたが、原爆で焼けてしまい、投下後やっと学校のピアノを見つけ弾くと、周りの人が聞きに来た。このような時でも、音楽を人々が求めているということがわかった。

現在88歳で、音楽教師を30年続けてきた。病気らしい病気にはかからず、元気だが、亡くした妹を思い出してしまうため広島にはいまだに行けない。

いまの人々に伝えたいことは、戦争は絶対にいけないということ。平凡だが、これが一番大事だし欠くことができないことだと思う。

 

石村さん

石村さんは、当時10歳。たまたま広島に帰ってきていて、市内からバスで1時間半ほど離れた学校の朝礼中に被爆した。ピカッと光り、ドカーンという音が聞こえ爆弾が落ちたと思って防空壕へ入ったが、何もなかった。昼頃、やけどして皮膚が垂れ下がっている人が市内から歩いてくるのを見た。父親は竹の歯ブラシを買いに市内に向かい、広島駅からすぐの停留所で被爆し、父の兄の家で10日に亡くなったと聞いた。亡くなったことも知らなかった。

被爆後、一番大変だったのは、突然父を亡くしお金がなかったこと。学びたい思いから、高校、大学に進学したが、お金がなくて、奨学金を借り働きながら通った。

日本政府や青年に伝えたいことは、問題は、話し合いで解決することが争いをなくす唯一の方法だということ。戦争は、あっという間に起こってしまうから。

参加者からの質疑応答や被爆後の人生をお聞きする中で、被爆者の思いに少しでも近づけたのではないかと思います。核兵器をなくし、平和な未来を創るため、核兵器の恐ろしさと平和の大切さを多くの人々や後世に伝えようと立ち上げた『ききプロ』を、今後も続けていきます。

2008/07/05 被爆者聞き撮りプロジェクト - ききプロ   愛知県原水協事務局
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